音を観るとは?
"観音" の文字を英語に訳してみると、
観 = watch = 見守る・世話をする・注意する・看護する
音 = sound = 身体的精神的に健全健康であること
という意味を持っていました。
Be sound in mind and body! 心身ともに健全であれ
という慣用句もあり、心身の健康を求める整体院にとって、これ以上ないほど最適な名前だと思いました。
Sound Watch Seitai Laboratory 観音整体研究所
いつの日か、日本発の療法として、より技術を高め、理論を追求して、整体を世界に広めたいという気持ちもあり、Seitaiという言葉はそのままで、英語名を付けました。
ただ、日本名では、研究所という名称は堅苦しすぎる上、施術院としての意味合いを感じ難いため、カタカナのラボ、に変えました。
観音美住 Kannon bis Can no bis
真鶴暮らしの拠点となる家を私たちは、「観音美住」カンノビスと名付けました。
元々は、真鶴港にあった石材運搬船の名前から、「観音丸」カンノンマルと呼ばれていた家です。
山﨑陽軒の曽祖父である露木宗吉は、真鶴名産の小松石を三浦や房総、横浜、東京などに運ぶ石材運搬船「観音丸」の船主でした。
その宗吉が大正時代、港の近くに家を建て、ご近所さんは親しみを込めて「観音丸」と呼びました。
大正12年に起こった関東大震災では、688戸が被損するなど壊滅状態となった真鶴ですが、観音丸は船も家も奇跡的に助かりました。
昭和に入って、戦争で宗吉も船もなくなりましたが、観音丸の家は空襲でも焼け残り、戦後は祖父、祖母と6人の子供たちが暮らす、小さいながらも親戚やご近所さん、漁師さんや農家さんなどの出入りが絶えない賑やかな家となりました。
人が大勢いれば、時には荒立つこともあったでしょうが、港町の暮らしの中で培ってきた智恵と共に、みな楽しく日々を送っていました。
陽軒はこの、毎日十人以上が食卓を囲む賑わった環境で、誰彼となくかまわれながら幼少期を過ごしましたが、中学卒業と同時に家から離れ、以後はお祭りとお盆、年末年始に帰るだけ。
東京で事業を始めて忙しくなると、盆暮れもなくなり、その間に観音丸で暮らす人も減り続け、とうとう誰も住まない空き家となってしまいました。
空き家問題は今、全国的に大きな問題となっています。
人口7千人の真鶴町にも、現在5百軒以上の空き家があると言われ、町は対策に迫られていますが、いざ人が住めるように片付けるとなると、一軒一軒大変な労力を必要とします。
100年もの間に延べ数十人が暮らしていた観音丸。
家の中には、膨大な量の荷物が溢れる様に置かれていました。
使うもの、使わないものを仕分けし、トラックで約15トン分のゴミを処理するまでに、およそ1年がかかりました。
そして部屋の中が片付き、創建当時の造りが見えた時には、100年前の美意識に心を奪われ、その感覚を暮らしの中で共有したいと思えるようになりました。
美しく住う。〜身土不二・心身一如の真鶴くらし
真鶴の空家片づけフォトエッセイが書籍になりました! >>真鶴ってどんなところ?